京都に移住して最初に住んだ場所が京都市左京区一乗寺。
京都に住んでいると一乗寺はわりとメジャーな地域ではあるものの他府県在住の人からしたらまだまだ知名度は低い。
今では一乗寺ラーメン街道なんて言われていて、全国のラーメンファンを唸らせる地域まで発展したが、移住した15年前はそんな名称もなく、当時営業していたラーメン屋と言えば珍遊、高安、天天有があったぐらいで夢を語れ、池田屋、極鶏がオープンするのはだいぶ先の話。
職場でどこに住んでいるのと聞かれて一乗寺と答えると京都人からよく「えらい遠いところに住んではるね」と言われた。
遠いと言われるが、京都河原町まで電車で20分程度、自転車でも飛ばせば30分で着く距離だが、京都人からすると北大路通りから北は遠方にあたる。
言われた当初は「そんな遠くないですよ」とやんわり否定してみせたが、京都人には毎回言われるので「そうですね〜」と人ごとのように聞き流すようにした。
とはいえ、京都に縁もゆかりもない自分が最初の移住地に一乗寺をなぜ選択したのかはよく聞かれるし、他人が同じような選択をしたら自分も聞きたくなる。
なぜ、移住先に一乗寺を選択したのかといえばきっかけは眼鏡。
まだ、埼玉に住んでいた25歳のときにふと眼鏡をかけたくなり、くるりの大ファンだった自分は「どうせなら京都でこだわりの眼鏡を買う」ということで、当時まだまだネットが普及していなかった頃にいろんな本を読み漁って見つけたのが京都北白川に店舗を構え、最寄り駅が一乗寺にある眼鏡店「OBJ」。
目的地である「OBJ」を目指すにあたり、まず「一乗寺ってどこだ」というところからスタートし、当時はガラケーしかない時代でGoogle Mapなんていう便利な機能はなかったから自力で調べたところ、「OBJ」の場所が京都駅から行くにはかなりややこしい場所に位置していて、電車で行くと3回くらい乗り換える必要があり「えらい遠い場所にあるな」というのが一乗寺の最初の印象だった。
京都市営地下鉄、京阪電車、叡山電車といろいろ電車を乗り継いでようやく一乗寺駅に到着。
駅を降りて、駅前の風景を見た瞬間に「この場所いいな」とビビっとくる。
まずプチ都会暮らししている自分には馴染みのない山の存在感に圧倒された。
こんなに山の近くあるのに駅前は発展していて、自分が住んでいる埼玉の最寄り駅よりも発展していた。
山の方へ進んで行くと白川通りという南北に走る大きな道路があり、その交差点にあるバス停の名称が「一乗寺下り松」。
バカボンドを全巻読破した自分にはぞくぞくするような地名。
目的地であるOBJはこの交差点から南へ5分程度歩いた場所にある。
ただ、この交差点に一際目立ち名前からしてとても気になってしまった「狸谷山不動院」の看板。
眼鏡を買いに行くまで少し時間があったから興味がてら立ち寄ってみたのだが、なかなかの勾配がある坂道を歩き、獣が出そうな山道をさらに進むと狸谷山不動院の入り口に到着。
名前のとおりかなりの数の狸(置物)がお出迎えしてくれる。
その横にドーンと構える石階段、その段数はなんと250段。
ここまでの道のりだけでも非日常な雰囲気なのだが、石階段を登っていくとそこにスピリチュアルな要素も加わり、徒歩20分程度でここまで理想的な山寺があるのかと感動。
狸谷山不動院へ散歩がてらにお参りすることを夢想していくうちにだんだんイメージが具体的なものになり、いつしか一乗寺の存在が誇大していく。
はじめて訪れてから移住するまでに3回程度一乗寺には訪れるのだが、毎回、新たな魅力の気づきがありますます一乗寺に住みたいという思いが強くなっていく。
訪れるたびに感じたのが、雰囲気がなんとなく井の頭沿線を彷彿させる。
昔からの地元住人と大学進学を機にいろいろな地域から集まった若者が程よくブレンドされて新陳代謝された街。
このローカルな雰囲気に溶け込むサブカルチャーな雰囲気は恵文社の存在が大きい。
はじめて一乗寺に訪れてから3年ぐらい経過し、京都移住への思いが爆発しそうな頃になんと仕事で京都への転勤が決まる。
転勤先が京都河原町にあったので、普通なら通勤に便利な阪急沿線に引っ越すのが一般的らしいが自分は叡山鉄道沿線を押し通した。
京都の不動産屋にも学生以外で初見で一乗寺を選ぶのは珍しいと言われた。
ちなみに同じ職場で関東から転勤してきた上司や同僚は西院と七条に住んでいて「なんで一乗寺を選んだの」と言われた。
前職を辞めるタイミングで引越しをするのだが歩いて5分の場所に引っ越し、結婚して子供が生まれたタイミングで徒歩10分程度の場所の家を購入。
一乗寺は一人暮らしも快適だが子育て環境も抜群に良く子供が成人してもおそらく一乗寺界隈に住むだろう。
15年前に一乗寺に住むという判断に一片の曇りがなかったことは自信を持って言える。
おまけ