
埼玉から京都に移住してまもなく16年になる。
今では標準語よりも関西弁の方が自然に出てくるほど馴染んでいるが、地元の人からすると、自分が話す関西弁はどこか不自然で“エセ”に聞こえるらしい。
京都に移住する前は「世界的な観光地で外国人が多い」「豆腐が美味しい」「京都人はイケズ」といった断片的なイメージしかなかった。
けれども実際に暮らしてみると、観光では見えてこない街の表情や、移住者だからこそ気づける日常の風景が少しずつ見えてきた。
ここでは、そんな京都での暮らしの中で感じた小さな発見や気づきをいくつかまとめてみたので移住を考えている人への参考になれば幸い。
▪️京都人は京都の観光地に関心がない
自分の中での「京都人」の定義は、京都市の中でも上京区・中京区・下京区・東山区・嵐山区といった「THE 京都」な地域に、三世代以上住んでいる人のこと。
そういう生粋の京都人と話していると、「銀閣寺ってどこにあるん?」「金閣寺は行ったことないわ」「時代祭ってなんやったっけ?」みたいな、思わず耳を疑う発言が飛び出すことがある。

京都の観光地には関心がないが、京都には誇りや愛着を感じることがしばしばある。
地域の風習や行事には家族で参加したり、高校、大学、就職先まで京都市内だったりと京都から外に出たいという気持ちはなさそうだ。
もし、京都在住者で京都の歴史や観光地にやたら詳しく、休日に寺社仏閣巡りをしていたらほぼ移住者だと断言して間違いない(だろう)。
▪️京都人はニシンそばを食べない
年の瀬、職場の京都出身の同僚に「年越しそばはやっぱりニシンそば食べるの?」と尋ねてみたら「そもそもニシンそば食べたことないな〜」という意外な答え。
「京都といえばニシンそば」という勝手なイメージを抱いていたこちらとしては、肩すかしを食らったような気分だった。
思い返せば、自分自身も京都に移住してから一度もニシンそばを食べていない。
移住前は、観光で訪れるたびに京都らしいものをということで、南座のすぐ横にある「総本家にしんそば松葉」に何度か足を運んでいたのに、住み始めてからは一度も訪れていない。
あの頃あれほど特別に感じていたニシンそばが、移住後は一度も頭に浮かばなかったのは不思議なようで、ごく自然なことでもある。
おそらく、京都人の感覚としてはこうだろう。
「いつでも行けるんやし、わざわざ今行かんでもええんちゃいますか」
まさにその通りである。
▪️寺社仏閣を1日本気で巡ると軽く1万円は超える
京都に移住したばかりの頃は、「市バス・地下鉄一日乗車券」を握りしめて、朝から晩まで寺社仏閣を巡っていた。
ただ、京都の寺社巡りには思いのほか費用がかかる。
拝観料に加え、国宝や文化財の特別公開には別料金が必要な場合もある。
御朱印も一枚300円ほどで、種類違いが何パターンもあり、お守りやお札などの授与品まで含めれば、1カ所で3,000円を超えることも珍しくない。
最近ではアニメやブランドとのコラボ授与品、ご当地グルメなども充実していて、財布の紐がどんどん緩む。
下手をすると、USJに行けたのではと思うくらい散財してしまうこともある。
そんなこともあり、最近はお金を使わなくても散歩をするだけで心が満たされる上賀茂神社や下鴨神社によく行くようになった。
▪️金閣寺の雪化粧はレア
京都の冬は「雪が多くて底冷えがきつい」というイメージがあったが、実際には京都市内で雪がしっかり積もるのは年に数回くらい。
しかも、雪がうっすら積もる程度の日がほとんどで、金閣寺の雪化粧なんて実はレア。
地元に住んでても、一度も見たことないという人も多いと思う。
あと、京都の気候あるあるでよく聞くのが「京都タワーのてっぺんと北大路通りの高さがだいたい同じ」という話。
つまり、北大路より北は標高が高くて、そのぶん寒い。
実際、京阪電車で淀屋橋から叡電に乗り換えて出町柳に着くと、「あれ、なんか寒い」ってなるのはほんとによくある。
市内でも北と南で気温差があって、北大路より北では雪が降ってるのに、南の東寺あたりは晴れてる、なんてこともけっこうある。
同じ京都でも、場所によってけっこう気候が違うので移住の際は注意が必要。

▪️鴨川にいる鴨には反応しない
鴨川は名前の通り、鴨がとても多い。
中でも、出町柳の鴨川と高野川が合流する「出町デルタ」より北、北大路大橋と北山橋のあいだの土手には、見たことのないような種類の鴨がかなりの数生息しているが、散歩やジョギングしている人たちはほぼスルーしている。
最初にその光景を見たときは、「こんなに野生の鴨がいるのか」と驚き、少し興奮したのを覚えているが、今では、「今日はちょっと多いな」と思うくらいで、特に気に留めることもなくなった。
鴨のほかにも、白鷺や鵜、ウミネコなどもよく見かけるが、公園の鳩を見るような目線で眺めている自分がいる。

▪️びわ湖が近い
関西以外ではあまり知られていないけれど、京都駅から滋賀県の大津駅までは電車でわずか9分ほどで思っている以上に京都と滋賀は近い。
日本最大の湖であるびわ湖にも、京都駅から電車で30分ほどあればアクセスできて、実は嵐山に行くよりも早く着くこともある。
そんな手軽さもあって、京都市民がびわ湖へ出かける理由のひとつが夏の湖水浴。
海と違って塩分がないので、泳いでも体がベタつかず快適。
特に、近江舞子より北のエリアは水が澄んでいて、透明度の高い水と自然の涼しさが味わえるちょっとした夏の穴場スポットになっている。

これだけ近いのでびわ湖には年に2〜3回は足を運ぶ。
アクセスも便利で、びわ湖の船着場のある浜大津まで直通の京阪浜大津線を使えば乗り換えなしで行けてしまう。
しかもこの路線、鉄道ファンの間では知られた存在で、日本で3番目に急な勾配や急カーブが続く区間があり、乗っているだけでもちょっとした鉄道旅気分が味わえる。
京都市民にとって滋賀は“すぐそこ”の存在だけれど、意外とその魅力には気づいていない。
▪️京都人はイケズをしない
京都に移住する前、一番ビビっていたのが、いわゆる「京都人のイケズ」。
たとえば、帰ってほしい客人にはぶぶ漬け(お茶漬け)をすすめるとか、「お宅の坊ちゃん、元気があってええわぁ〜」は実は「ちょっとうるさい」という意味だとか。
あと、渡したお土産をものすごく喜んでくれたのに、1ヶ月以上開けられていなかったりと、本音と建前のギャップが激しそうで、関東出身の自分にはきっときついだろうと思っていた。
でも、幸いにも気づいていないだけかもしれないが、京都人からイケズな扱いを受けたと感じたことはない。
むしろ最初のころは、こちらが気にしすぎて言葉の裏を読もうとしすぎて、逆に会話がちぐはぐになってしまっていた気がする。
ただ京都では、本音をストレートに言わず、少し遠回しに表現する文化が根づいているだけで、それ自体に悪意があるわけではない。
今では自分も自然とそんな話し方になっていて、「○○さんがよう言うてはりましたわ〜」なんて言い回しが、すっかり身についてしまった。
▪️京都のスーパーはほぼフレスコ
フレスコは京都を中心に展開している24時間営業のスーパーマーケット。
コンビニよりも安く、身近にありすぎて、別名「京都人の冷蔵庫」とも呼ばれている。
京都市内を車で走っていると、いろんな場所でフレスコを見かけるし、ちょっと広めのテナントが閉店すると、その
跡地にフレスコがオープンすることがとても多い。

「旧京都中央電話局上分局」の跡地にあり、大正時代の面影がかすかに残っている。
深夜の街中で煌々と光っているお店を見かけたら、それはたいていコンビニかフレスコで間違いない。
▪️大阪までの電車が快適
京都から大阪まで電車で行くには、京阪電車、阪急電車、JRの3つの選択肢がある。
そのうち京阪電車と阪急電車は京都始発の路線なので、朝の通勤ラッシュを避ければほぼ確実に座ることができ、ボックスシートが多いので、窓際に座れば個人の空間も確保できる。
さらに、追加で500円を支払えば、ワンランク上の「プレミアムシート」を予約することもできるので、どうしても座りたい場合には心強い選択肢になる。
一方で、JRは座席確保が難しいものの、最速で約30分で大阪に到着するスピードの速さが魅力。
大阪から京都への帰りも、京阪や阪急の電車なら始発駅からの出発なので、座席を確保しやすく京都から大阪まで電車がとても快適。

有料席はさらにその上をいくラグジュアリー空間。
▪️京都人に京都知識を披露したら引かれる
京都で再就職の面接を受けたとき、前職を辞めた理由を聞かれ、「京都に永住したいからです」と答えたら、面接官に「意味がわからへん」とぼそっと吐き捨てられたことがある。
それ以外の場面でも、同じように「京都に住みたくて移住しました」と話すと、「京都ってなんもないやん」と、本音なのか建前なのか分からない反応をされ、まるで移住が歓迎されていないと感じたこともあった。
京都愛に溢れる自分は京都検定2級を所持しており、今年は1級の取得を目指してひっそり勉強しているが、このことは誰にも言っていない。

京都に移住したばかりの頃、休日のたびに寺社仏閣を巡っていた。
そのせいか、京都の話題になると、聞かれてもいないのに自分の知識や蘊蓄を延々と話してしまうことが多かった。
ところが、あるとき話を聞いていたはずの周囲の空気が、どこか冷ややかだったことに気付き、完全にスルーされたあの感じが今でも忘れられず、それがちょっとしたトラウマになっている。
今では、自分以外で同じように熱く語りすぎてしまっている人を見ると、心の中で「それ以上はあかん、喋りすぎや」と忠告している。
実際、金閣寺や銀閣寺に行ったことがない京都市民も多い中で、京都通を気取って一方的に語るのは京都ではあまり歓迎されない。
聞かれたことだけをそっと答えるのがスマートな京都通である。
ほかにもいろいろあるが今回はここまでとする。
いつか、自分も京都人としてすっかり染まり、違和感すら感じなくなる日が来るのかもしれない。
でも、それが自然に受け入れられるようになるには、少なくともあと3世代はかかりそうだ
