毎日の習慣として少しずつ身の回りの物を手放すよう心がけている。
しかし、整理を進めていく中で、ふと手に取ったモノが思いがけず記憶を呼び起こし、手放すどころか見入ってしまうことも少なくない。
今回もまさにそのパターン。
西麻布YELLOWの最終マンスリースケジュール

YELLOWがクローズしたのは2008年6月だから、かれこれもう15年以上前のことになる。
自分が初めてクラブという場所に足を踏み入れたのは20歳の頃。
United Future Organizationが主催していた「Jazzin’」というイベントで、YELLOWでのクラブデビューを果たした。
EMMA HOUSEや木村コウの「KOOL」、田中フミヤによる「MASK」など、月に2〜3回は足を運んでいた。
看板もなく、目印すらないマンションの地下にあるという立地は、まるで秘密基地のようで、扉を開ける瞬間のドキドキとワクワクは今でもはっきりと思い出せる。
そして伝説のクラブにふさわしく、クローズ月間のラインナップは本当に圧巻。
国内外のトップDJたちが揃い、YELLOWという場所の特別さを改めて実感させてくれた。

同じ月にティミー・レジスフォード、田中知之(FPM)、デリック・メイ、ダニー・クリヴィット、田中フミヤ、DJ EMMA、ローラン・ガルニエ、フランソワ・Kといった錚々たる面々がラインナップされ、まさにラストを飾るにふさわしい豪華な布陣だった。
筆者はこのクローズ月間の中で、デリック・メイ、DJ EMMA、田中フミヤのイベントに足を運んだが、いずれも現在では考えられないほどの超満員。
明らかにキャパシティを超えていたであろうクラウドの熱気と、YELLOWという特別な空間の終わりを惜しむ高揚感が入り混じった、唯一無二の夜をフロアで共有したグルーヴと一体感は、今も鮮明に記憶に残っている。

EMMA HOUSEに毎月通っていたあの頃。
DJ EMMAのプレイは本当に凄かった。
オープンからラストまで、気づけば8時間以上ぶっ通しで回していることも珍しくなく、終わるのが朝8時過ぎなんて日常茶飯事。
体力と集中力、そして選曲の幅広さに毎回圧倒された。
後半に差し掛かると、ソウルフルな歌ものがフロアを包みはじめて、「ああ、もう朝か…」と時計を見るよりも先に音で時間を感じていた。
↓こちらが、DJ EMMAによる伝説のクラブYELLOWでのライブDJ MIXを収録したCD

YELLOWのダンスフロアの映像が観れる貴重な作品↓
田中フミヤ氏のイベントにもほぼ毎回足を運んでいた。
ストイックかつ緻密なミックス、張り詰めた緊張感を孕んだDJスタイルは憧れの存在だった。
この頃すでに、いわゆるハード・ミニマルからは距離を置き、クリック・テクノ寄りの繊細な選曲に移行していた時期だったが、この夜ばかりは、「Distortion」というイベント名から察せられる通り、かつてのバキバキに攻める田中フミヤが帰ってきたかのようなプレイに圧倒された。
ほかにも、KARAFUTO名義で開催されていた「MASK」というイベントにもよく足を運んでいた。
音の質感からグルーヴの構築まで、フミヤ氏は本当にその場に応じてスタイルを自在に変えることができる稀有なDJだと、あらためて感心させられた。


↓ガツンとくる若かれし頃の田中フミヤ氏によるファーストDJ MIX!
クローズ最終日を飾ったのは、この人——フランソワK.

別のパーティーでフランソワ・KのDJプレイを体験したことがあるが、特別なトリックや派手なミックスがあるわけではないのに、“なんでもない曲”が彼の手にかかるとフロア全体が揺れ出す、その魔法のような選曲センスに圧倒された記憶があった。
テクニックで押すというより、選曲そのものが圧倒的。
まさに、DJとはこうあるべきだと思わせてくれる理想のスタイル。
後に自分で同じ曲をプレイしてみたが、当然ながら、あの場で生まれていたグルーヴは再現できなかった。
あれは曲の力だけではない、フランソワ・KというDJの“空気の作り方”の成せる業だと思う。
そんなことを思い出させてくれたのは、ふとした整理の中で見つかったYELLOWのマンスリーガイド。
結局このマンスリーガイドは、処分されることなく静かに元の引き出しに戻された。